上の姉は東京近郊で公立小学校の教員をしていた。していたというのは既に定年退職をしたからだ。次姉は地方の私大の教員で,現役である。
長姉は判で押したような23歳~60歳の教員人生だ。一箇所を勤め上げるのは,ある意味非常に重要な事で,金銭的にも最も有利である。長姉は夫婦そろってそうだ。
私は常勤講師を経て,ある県で試験をパスして,高校の正規教員になった。私は民間経験10年で教員になったが,教員の前歴としては8年分にしかならなかった。それでも最高評価なのである。しかし教員で10年いると12年分の昇給になっていた。前歴が最高評価でも10年で4年分もの差がつくのである。それでも,私の民間企業時代よりも良い待遇であり,職に就ける喜びをしみじみ味わったものだった。
民間経験は,不当に低く見られているが,そういう制度なので仕方が無い。せめてもの救いは,産業教育手当である。基本給に無条件で1割上乗せされた。しかしそれとて,学校出てずっと教員している人は有利な基本給の上に更に1割上乗せされるのだ。この手当は,貰っていない人達からは評判が悪かった。公平性からこれを改めるのは良いと思うが,それなら民間経験者への処遇改善があっても良いはずだ。
次姉は子育ての時こそ休職していたが,ずっと勤めている。夫は建築家で,建築会社を経営していたから,経済的には姉の稼ぎは特に必要なかったはずだ。全く金銭面とは別に,満足度で仕事をしているようだ。ある分野では名があり,NHKに登場した事もある。学科の長などをしていて大学にとっても必要な人材だろう。
姉達の上に兄がいた。大学で国文学を学び,実家に戻っていた。地方から東京の私立大学にやるのは,今も昔も大変なことだ。経済的苦労もあっただろうが,かなり年数掛かって卒業した。この人は,姉達とは違い職を転々とした。実家に戻って家業の手伝いをしながら,それだけでは新たな収入は無いので,勤めに出た。幾つくらい転職したのかよく分からないが,しばらくして社会教育主事で町役場に勤めていた。結婚もし,幸せな時代だったと思う。が,そこは10年ほどでクビになってしまった。その後また転々とし,最後は,建設会社に勤めていた。地元では結構有力企業だったがそこは数年も持ったのだろうか,最後は遺跡の発掘作業員をしていた。
兄の特徴は,経済的観念の無さであった。全く得にもならない事に価値を置いてしまうのだった。もちろん道楽は道楽で良いのだが,けじめが付かなかったのだろう。父はそのことを嘆いていたが,自らの後継ぎとするべく,我慢して引き継がせようとしていたようだが,裏目に出て家業をほぼ潰してしまった。モノをすぐダメにする。ダメにするのなら諦めもつくが,失くしたり,簡単にモノを人に与えてしまうなどの性格があった。人にモノを与えれば大概相手は喜ぶ。カネもないのに,人を信じて貸してしまい逃げられる。詐欺的な人間は人の良さを利用してくるものだが,かわいそうに振る舞う人を見ると放っておけないのだった。金さえ入れば,余計なものをどんどん買う。人にモノを与えるのと同じで,羽ぶり良く買い物をして店員が喜ばないわけは無いからだ。必ずしも上手く行かない人間関係への飢餓だったのかも知れない。
経済面に関しては,私は兄を反面教師にしたのだろう。兄は良くじゃらじゃらと沢山の小銭をその辺に放置していた。私は今でもこれが大嫌いだ。大体小銭が増えると言うのは,金額を意識せずに買い物をしている証拠だし,しかもその小銭をいらないものかの様にその辺に放置している事もルーズだ。だいたい,小銭の数なんて,最大でも500円,50円,5円が1個づつ,100円,10円,1円が4個づつまでにしかならない。合計15個だ。それより増えるわけがないし,最大15個まで行く方がありえない事だ。通常私の小銭入れにコインは5,6個だ。
肉親なので私にも兄と共通する価値観や金銭にだらしない性格が無いとは言い切れない。しかし,兄の行動を見る事で,少なくとも自分はそうはしない,ということに特化したのだ。兄は50代でガンで亡くなってしまった。兄の存命中はけっこう迷惑被っていたが,居なくなって見ると,良かれ悪しかれ影響を与えてくれていたのだなと思えるのだ。
転職についての記事のつもりがいつの間にか人間観察になっている(つづく)。
長姉は判で押したような23歳~60歳の教員人生だ。一箇所を勤め上げるのは,ある意味非常に重要な事で,金銭的にも最も有利である。長姉は夫婦そろってそうだ。
私は常勤講師を経て,ある県で試験をパスして,高校の正規教員になった。私は民間経験10年で教員になったが,教員の前歴としては8年分にしかならなかった。それでも最高評価なのである。しかし教員で10年いると12年分の昇給になっていた。前歴が最高評価でも10年で4年分もの差がつくのである。それでも,私の民間企業時代よりも良い待遇であり,職に就ける喜びをしみじみ味わったものだった。
民間経験は,不当に低く見られているが,そういう制度なので仕方が無い。せめてもの救いは,産業教育手当である。基本給に無条件で1割上乗せされた。しかしそれとて,学校出てずっと教員している人は有利な基本給の上に更に1割上乗せされるのだ。この手当は,貰っていない人達からは評判が悪かった。公平性からこれを改めるのは良いと思うが,それなら民間経験者への処遇改善があっても良いはずだ。
次姉は子育ての時こそ休職していたが,ずっと勤めている。夫は建築家で,建築会社を経営していたから,経済的には姉の稼ぎは特に必要なかったはずだ。全く金銭面とは別に,満足度で仕事をしているようだ。ある分野では名があり,NHKに登場した事もある。学科の長などをしていて大学にとっても必要な人材だろう。
姉達の上に兄がいた。大学で国文学を学び,実家に戻っていた。地方から東京の私立大学にやるのは,今も昔も大変なことだ。経済的苦労もあっただろうが,かなり年数掛かって卒業した。この人は,姉達とは違い職を転々とした。実家に戻って家業の手伝いをしながら,それだけでは新たな収入は無いので,勤めに出た。幾つくらい転職したのかよく分からないが,しばらくして社会教育主事で町役場に勤めていた。結婚もし,幸せな時代だったと思う。が,そこは10年ほどでクビになってしまった。その後また転々とし,最後は,建設会社に勤めていた。地元では結構有力企業だったがそこは数年も持ったのだろうか,最後は遺跡の発掘作業員をしていた。
兄の特徴は,経済的観念の無さであった。全く得にもならない事に価値を置いてしまうのだった。もちろん道楽は道楽で良いのだが,けじめが付かなかったのだろう。父はそのことを嘆いていたが,自らの後継ぎとするべく,我慢して引き継がせようとしていたようだが,裏目に出て家業をほぼ潰してしまった。モノをすぐダメにする。ダメにするのなら諦めもつくが,失くしたり,簡単にモノを人に与えてしまうなどの性格があった。人にモノを与えれば大概相手は喜ぶ。カネもないのに,人を信じて貸してしまい逃げられる。詐欺的な人間は人の良さを利用してくるものだが,かわいそうに振る舞う人を見ると放っておけないのだった。金さえ入れば,余計なものをどんどん買う。人にモノを与えるのと同じで,羽ぶり良く買い物をして店員が喜ばないわけは無いからだ。必ずしも上手く行かない人間関係への飢餓だったのかも知れない。
経済面に関しては,私は兄を反面教師にしたのだろう。兄は良くじゃらじゃらと沢山の小銭をその辺に放置していた。私は今でもこれが大嫌いだ。大体小銭が増えると言うのは,金額を意識せずに買い物をしている証拠だし,しかもその小銭をいらないものかの様にその辺に放置している事もルーズだ。だいたい,小銭の数なんて,最大でも500円,50円,5円が1個づつ,100円,10円,1円が4個づつまでにしかならない。合計15個だ。それより増えるわけがないし,最大15個まで行く方がありえない事だ。通常私の小銭入れにコインは5,6個だ。
肉親なので私にも兄と共通する価値観や金銭にだらしない性格が無いとは言い切れない。しかし,兄の行動を見る事で,少なくとも自分はそうはしない,ということに特化したのだ。兄は50代でガンで亡くなってしまった。兄の存命中はけっこう迷惑被っていたが,居なくなって見ると,良かれ悪しかれ影響を与えてくれていたのだなと思えるのだ。
転職についての記事のつもりがいつの間にか人間観察になっている(つづく)。
コメント
コメントを投稿