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JABEE認証の継続は必要か?

JABEE導入の目的の一つに,技術者の地位向上ということが言われました。それは大変結構な事です。今日の日本の繁栄は技術者の努力の上にあったことは間違いありませんし,人以外資源の無い日本が今後食っていくためには,技術者の役割が重要であることは論を待ちません。では,JABEEをやったら,技術者の地位が向上するのでしょうか? ◆ 残念ながら,無理筋のように思います。どこにもその脈絡がありません。JABEE認証制度は,技術者の地位向上よりも,エラい先生方やお役人の退職後の地位向上という本音を,立派な大義名分のオブラートに包んでいるように見えます。 JABEEコースを修了する学生にとって唯一有効なインセンティブに見える技術士第一次試験の免除も,技術士制度をいじって,従来経験者が免除されていたものを義務化して作ったものです。 そして,そのような「人工的な恩恵」でさえも,大学はまだしも高専では専攻科まで進む学生か,名目上はJABEE認定大学に編入学した学生にのみ与えられるものです。「名目上」と言うのは,そのような大学編入生においてすら,「学校毎に認定されたJABEEプログラムが違うから,通算はダメよ」と言われたとの情報。正確な実態はどうなのか怖くて聞けません。JABEEは教育の国際水準の確保では無かったのでしょうか?国際水準が確保されても,国内水準は学校によりバラバラなのでしょうか? デタラメです。それどころか,JABEE委員ご出身のレベルの高い大学では技術士の地位の最も高い建設土木系ですら,JABEEには洟もひっかけないのです。JABEEを言う前に,技術士そのものの地位向上が先決でしょう。それに,みんながみんな技術士を目指す訳ではありません。それを本気で目指す人は一次試験から受ける方がJABEEコースのメンドウな縛りをかいくぐるよりもずっと楽でしょう。 ◆ JABEEの初代会長さんをされた方の前職は放送大学学長,その前は日本一の大学の総長さんでした。皇室関係の有識者会議の座長さんなどもやられました。まあそれは結構なことです。関係なさそうなことです。しかしながら      。 当職場ではJABEE導入により,それまで放送大学受講で取らせていた単位はJABEE上は無効だとされ,自前開講になりました。大学単位を取らせるには教員が足りないから放送

近況など

投稿に半年以上間が開いてしまいました。 この3月に技術士登録をし,少しは技術士仕事をと言うところですが,何分職場内技術士の身分,そうそう技術士らしい業務はやっていませんが, 何となく (ではいけないのでしょうが),技術の話をする際,従来の「~てなことらしいですよ」という受け身的なスタンスから,「~と言う事になりますから~」という様に少し主体的な話し方をしている自分に気がつきます。 また,何分毎年年中行事の様に受け続けて来た試験が急に無くなって,ボケてもイカンと思いまして,実は8月に総監の試験も受けたのでした。 さすがに少しは試験対策をしておかないといけないと思ったのですが,何分せわしなく(全く時間がなかった訳でもないのですが。。。)全く丸腰というか,丸裸の状態で受験しました。 時計さえ忘れるという,体たらく(許可を得て,たまに振り返って会場の時計を見るということで対応)。まあ,今回は探りでと思っていましたが,何と!結構分かるではないですか! 選択問題は8割かたできた気がしました。それで,記述問題も気を良くして「これはひょっとしたらひょっとするかも?」と言う気分で,答え合わせもせずに,筆記の発表を待つ気分でいました。 筆記合格発表前に,選択問題の答え合わせをやってみました。 「ありゃ~」,8割かた,あわよくば9割かた出来たと思っていた選択問題にバタバタと不正解が炸裂します。結構ひっかけ的な出題に素直に引っ掛かっています。こんなことなら少しは事前勉強しておくべきだったと後悔もひとしおです。 なんと,自己採点ギリギリ6割の24問正解。25問正解ということはまずあり得なく,本当に良くて24問。ヘタをすると22,23問かも知れません。そうすると記述問題が出来ていても自動的にアウトです。奇跡が起こらない限りムリでしょう。そう急ぐこともないですが,結構出来たと思えただけにちょっと残念です。 ところで,春からあちこちで(と言っても2か所ですが)合格祝賀をしてもらいました。 流石に東京のは行けなかったのですが,受験地の金沢での祝賀会が4月,それから地元の恩師や先輩技術士の方々のうちわの会が7月にありました。 そこで,色々身の回りの話が出ました。 私の話としては,昨年虫垂炎で入院したこと,その為ポーランドでの学会参加がパーになって,キャンセル

技術士登録証が届いた

名古屋出張から帰りましたら,技術士登録証が届いていました。3月22日の金曜日には届いていたようです。 思ったより大きいです。B4サイズですので,折り曲げたいところですが,二つ折り禁止で丁寧に届きました。 技術士登録証の実物を見るのは初めてです。 掛ったコスト(登録料3万円と6500円の手数料,あと今までの受験料)が回収できるかどうか分かりません。何分職場内技術士で,業務の合間を縫って企業の技術相談などにのっても全くのタダ。職場から給料は頂いていますが,こんなんでいいのかしら? 私の登録番号は70000台ですので,およそ日本にはこのくらいの方が居るはずです。 約半分が建設・土木関係の技術部門の方です。電気電子部門はざっと10%,電子応用分野はさらにその10%くらいでしょうか。 電気系の資格ならば,「電気主任技術者」が権威と歴史があります。1種,2種,3種とありますが,イチバン下の3種でも,通常の事業所などでは十分,2種ならどんなデカイ工場でもOK。電力会社にでも勤めない限り1種は要りません。 技術士資格もハイレベルなものですが,その隘路は業務独占ではなくて名称独占である事です。技術士でなければ出来ない仕事というのは基本的にはありません。建設系では実質的に業務独占資格となっているため価値は高いようです。 代わりにと言っては何ですが,この3月末で高校の教員免許の期限が切れてしまいました。

技術士登録

3月4日の月曜日に合格を確認したのですが,登録申請は通知を見てからと思っていました。 申請に必要な書類は予め取っておいた方が,少なくとも2,3日は節約出来たと思います。 合格通知は3月6日水曜日に郵送されて来ました。 直ちに,登録の準備を始めます。提出書類を集めます。「登記されてない事の証明」を法務局へ。以前土地の登記関係で行った法務局の支所は閉鎖されていてちょっと焦りました。 職場へは,登録の証明書を頼んでおきました。 「身分証明書」をとりに近くの市役所分室へ行きましたが,本籍地が新潟なのでここでは取れないとの事でした。水曜日に往復速達で送ったのですが,何と手数料250円也の小為替を入れる事を失念しました。木曜のお昼に市役所の人からケータイに連絡が入りました。 ここは現地に居る妻の母に行ってもらう事にしました。市役所周辺は翌金曜日に行くとの事でしたので,1日遅れるのはしようがないかなと思い,それで頼む事にしました。金曜の午後に行ってくれたので,証明書は土曜日の午前に届きました。 すぐに書類をまとめて送りましたが,あわせて4日間のロスでした。土曜日ですので,速達で送っても日曜着ですから書留の普通郵便で送付しました。 最短でやろうと思えば,合格確認してから,すぐに書類を揃えて,合格通知が届いて直ちに出すという手があると思います。もっと言えば,登録申請書類に書くのは,合格番号だけですから,それを電話で聞けば,合格通知が届く前に申請してしまうという裏技もあると思います。 なぜそんなに急ぐ必要があるかと言えば,二次合格発表後は申請が集中して事務処理が遅れるようだからです。登録前に「技術士」を名乗ると違法になります。 登録さえ済んでいれば,登録証が届かなくても,電話で登録番号を問い合わせれば教えてもらえるので,それさえ確認出来ればOKなわけです。 18日の月曜日に日本技術士会に問い合わせたところ,15日に登録されたと教えてもらえました。登録証はまだ届きませんが,無事技術士(電気電子)となりました。

二次試験合格

3月4日の朝,技術士会のホームページ上で,見なれた受験番号を発見しました。 私の受験地では電気電子の電子応用を受ける方は少なく(全体が少ないので人口で比例配分でしょう),私の受験番号は8回の受験で最後の数字が1~3の範囲で変わるだけでした。今回も最後が0001でした。例年当受験地の記号を見ること自体も少ないのです。 念のため,官報で名前も確認して,じっくりと噛みしめました。 思えば,長い道のりでした。 H16年(2004年)度に一次試験合格。 H17年(2005年)度二次試験筆記不合格。しかし,二次試験初回の挑戦で,A, C, A評価。何の準備もしなかったので,これはC評価部分の対策をすれば行けるかも?というのが今思えば長い道のりの始まりでした。 H18年(2006年)度二次試験筆記合格,口頭試験不合格。これ以降が長かったわけです。論文を見ていただいたベテランの機械の技術士の方も筆記合格で口頭不合格以降8回くらい掛かったそうですから,口頭で落ちてしまうとその後年数が掛かるというのはジンクスなのかもしれません。 技術士の試験制度は,数年ごとに改正があります。 私が受けている期間内にも,H19年度からの大きな変更がありました。H18年度まで経験論文は試験中に記述していたのですが,H19年度からは筆記合格後の後出しでよくなりました。筆記量はかなり減った訳ですが,私には必ずしも有利に働いたわけでもありません。試験中に書く経験論文は,1回目のチャレンジから合格点だったわけで,むしろ得意分野だったわけですから。 平成18年度の1回目の筆記試験合格時は,いわば試験中に経験論文を書く最後の試験だったわけです。 平成25年度からも試験制度が変わります。 経験論文は無くなり,択一試験が復活するようです。その趣旨はよく調べていませんが,今回もやはり試験制度改正前の土壇場での合格だったと言えるでしょう。ここで合格しておかなければ,また何年かダメだったかも知れません(汗)。

2回目の口頭試験受験

2012年12月22日,2回目の口頭試験を受けました。 竹橋に宿泊していたので,当日ゆっくり出てフォーラムエイトにお昼前に着く事が出来ました。冷たい雨が降っていましたので,渋谷の駅前で折り畳み傘を買いました。 道玄坂を登って,見覚えのあるビルに着きます。受付を済ませ,控え室に。 驚いたのは,まるで高校生にしか見えない若い女子がいたことです(もちろん経歴必要ですから20代でしょう)。賢そうでしっかりしています。光り輝いています。おかげで,周りのオジサンは私含めぱっとしない感じです。しかし張りつめた雰囲気です。 5分前くらいから試験室の廊下の椅子で待機して呼び出しを待ちます。別部屋の受験者の大きなため息が何度も聞こえてきます。緊張しているようです。私は,2回目の余裕(笑)をかます事にします。女性の呼び出しかと思ったら男性に呼び出されました。 面接官2名。私と同程度か若そうな人。前回は4名だったので,少し拍子抜けなかんじがします。左右に空いた席があるので,4人の面接もあるようです。 面接室に入って,受験番号と名前を言います。以下質問と私の回答(小文字)の概要です。途中順不同でヌケもあります。 ・あなたの経歴を10分で話してください。 就職後から順を追って説明。10分と言うのは想定していなかったので,少し長目に言うかなと言う感じでしゃべったところ,最後(現状)が少し寸づまりになった感じ。1分程度オーバーで終了。 最初はフロッピーディスク用の磁気ヘッドの開発だったが,現在使われなくなっているので,経験論文はハードディスク関連の技術に限定した。また,そのようにも断りを入れた。 ・受験の動機 H15年頃,JABEE導入に伴い,職場から企業出身者は受ける様に言われたのがきっかけ。企業から技術相談を受けたが,ツッコミが足りない。法的な資格の重要性を感じた。また,個人的都合だが,子供が小さいので定年後も自分のキャリアを生かして働きたいと思う。 ・もし資格とったら,学内のポジション変わるのか? そのような部署があるので,多少そちらの技術相談的な仕事のほうにシフトするかもしれない。 ・非常に専門的な分野だが,技術相談ではもっと電気分野浅く広い知識が求められる事もあるのでは?努力していることはあるか。 沢山授業をもっている。電気材料,電子物性など

2度目の口頭試験にのぞむ

二次試験では筆記試験が難関です。 筆記に合格して口頭試験に回れば9割がた受かりますから,めでたく最終合格となった方の多くは,口頭試験の経験は1回でしょう。 私は2回目ですので,その分余裕を持って臨む事が出来ます。しかし,前回指摘されたように「 技術士としての適性 」が無い可能性がありますので,そこが改善されているかどうか?わかりませんので,油断は禁物です。2度も口頭試験で落ちるのはイヤです。私の分野の二次試験で筆記が10人に1人受かるとして,その内口頭試験で落ちるのは10人に1人としますと, 筆記で受かって口頭試験で落ちる という人は100人の内の1人なわけです。さらに,そうなるのを2回繰り返すというのは,単純な確率で考えてもかなり低い事例ではないでしょうか?これはもう自分は仙人ではないのか?ということです。 かすみを食っては生きられませんので,ここは石にかじり付いても合格しないといけません。口頭試験日の前日,学会の研究会がありましたのでこれに参加し,一泊して翌日口頭試験に臨む事にしました。しかし,今回も色々トラブルがありました。 (1)合格通知証を失くす (2)1週間前にあった忘年会で痛飲してカバンを失くす (3)無くしたカバンの中に,試験に向かうヒコーキの優待券が入っていた (1)これには焦りましたが,一週間前に気づきましたので,連絡して筆記試験受験票や身分証明書を持って行くなどで対応してもらいました。クリアファイルに書類一式まとめていたのですが,直前にまるまる紛失していたのでした。 (2)単なる忘年会ならば,もちろんカバンなど持って行かないのですが,学会の研究会があり主催側で挨拶もしないといけません。その終了後,学会の懇親会も兼ねたものだったので,参加しないわけには行きません。特別講演の先生も2次会まで付き合ってくれたので,ついついやってしまいました。 (3)これは,当日朝の出発直前まで気がつきませんでした。優待券での予約でしたので,これが無いと普通運賃になるか最悪乗れないかもしれません。ヒコーキですと時間的余裕があるのでノンビリしていたのですが,直ぐキャンセルしてJRで行く事にしました。しかし,妻は音楽の仕事(趣味?)で留守で,駅まで送ってもらえません。空港まで車で行く事にしていましたので,さあどうするか?タクシー呼んでもちょっ

ブログ以外に心がけた事

学会発表は,できそうな学生がいる場合にはさせますが,そうでない場合自分でするしかありません。教育が主といえ研究活動も職務です。 義務が多く,責任ある役回りも回って来ますので,ストレス 解消 もしくは 感じない 様な方策も重要です。 私の場合,音楽が最大のモノでした。学生時代から続けているクラシック・ギターが中心( 先に紹介したブログ がそう)です。浮気をしてピアノをやった事もあり,少しなら弾けます。 クラシック・ギターは,ここ十年ほど師についています。年に一度の発表会には,新曲をやっています。仕事のストレス解消のみならず,むしろ人前での発表に慣れる事やムダな力を抜く心がけ,地道な上達のための合理的練習法等,仕事や技術士受験にもプラスになっていると思います。 前職の企業時代から,周りで体を壊す人を大勢見て来ましたので,健康管理には気を使っている積りです。むちゃ食い・飲みをすると妻が鬼のようになるので,そちらの方が身体に悪いと思い,そうならないよう心がけています。 趣味がゴキゲンな時は仕事も調子いい様に思います。研究者は無茶をするところがありますが,その点私は(大した研究やっていないので),心配ないと思います。

何度目の正直やら(2度目の筆記合格)

H24年,ようやく2度目の筆記試験合格となりました。二次試験チャレンジから8回目です。「ひょっとしたら今年はいけるかも?」という感触はありました。ただ,今まで何度も苦杯を舐めていますので,フタを開けてみるまでは分かりません。 不思議なもので,連続不合格も最初の頃は,悔しかったのですが,仕事が忙しかったりすると,「 ああこれで体験論文やら年末の口頭試験の心配をしなくて済むんだ 」という,むしろホッとしたような気分になるのでした。もちろん, クヤシサ も次年度の原動力にする方法もあるでしょうが,そのためイラついても良くありません。 H19に過去最低のCB評価でしたので,あせらずチャレンジする事にしていましたが,漫然と繰り返していても何か永久に受からない様な気もして来ました。いずれにせよ,何か手を打とうと思いました。折から職場では責任者的立場になり,まあ俗に言う「名ばかり〜」です。職場の方はストレスが溜まるごたごたが続いています。絶対的に時間が無い訳ではないのですが,無いのは精神的余裕です。 少し時間や精神的な余裕が出て来た2009年(H21年)からブログを開始しました。文章力を向上させるためです。飽きずに続けられる様に,趣味の記事を, なるべく分かりやすく且つ論理的に 書く様に努めました。効果のほどは分かりませんが,少なくとも書く事には慣れたと思います。 趣味の記事の中に,時々ゲリラ的に専門的な内容も滑り込ませています。これは全く専門外の方々に(ムリヤリ読ませるために)書く訳ですから,これは専門的内容を分かりやすく記述するのに効果的だったかもしれません。H24夏の筆記試験時期には, その2009年から始めたブログ の記事数は800を越え,閲覧数は100万を越えていました。効率のよい方法とは思いませんが,趣味の話なのでいくらでも続ける事が出来たのは良かったと思います。 ◆ 以前は筆記試験終了後詳細な振り返りを作ったりしていましたが,H24年度の試験の振り返りはメモ程度にしておきました。前回の口頭試験では,筆記試験の内容について聞かれることは無かったからです。それに,アタマの中にある事を書いた訳ですから,仮に口頭試験で質問されても答えられるはずです。 以下にその時のメモを記します。 平成24年度技術士第二次試験

その後の第二次試験受験

平成19年度の失敗を踏まえ,平成20年度は,「論理的考察力と課題解決能力」に注力しました。自分ではそれなりにはあると思うのですが,出題によっては百科事典的な記述内容になりそうです。解答にそれをどう盛り込むかを考えました。それなりに解答練習をして臨みました。 平成20年度は出題ががらりと変わりました。電気電子部門だけ出題変化が1年遅れでやって来たかの様でした。もっといえば,今まで他部門の技術士の方々からアドバイスされていたこと(誰でもが分かる様な分かりやすさ,図版の重要性など)が,やっと実感出来るような試験になったように感じました。 問題は こちらのページ にあります。 前年度B評価だったII分野(電気電子一般)では,電気電子系5分野において,自分の専門分野以外の4分野から3問選択,各分野ごとには2問から1問選択します。 私の選択は, Ⅱ-1のエネルギー確保(エネルギーセキュリティ), Ⅱ-3の無停電電源装置, Ⅱ-9交流直流の整流問題の3つとしました。 昨年合格レベルに達した専門のI分野では,1枚モノが, Ⅰ-1-1のCCDからCMOSへの課題と展望, Ⅰ-1-2コモンモードノイズ, Ⅰ-1-3のAD変換におけるサンプリング定理の3つ,3枚モノは, Ⅰ-2-1の安定判別についてを選びました。 正直,CCDとCMOSは仕事で使った事は無く,素人マニア程度の記述です。 コモンモードノイズと サンプリング定理 については,まあ合格レベルの解答だったと思います。3枚モノの 安定判別 に関しては, 原理はOKなのですが, 具体的に制御理論を使って業務改善した経験は無いので, 「 あなたの体験を交えて具体的な解決策を示せ」というのが苦しいものでした。フロッピー・ヘッドの鳴き改善を書いたと思うのですが,「これは原理的に制御系の 不安定や発振と 同じことであるが,系の定量化が出来ないため 定性的に対処した」と言ったことしか書けませんでした。題意と違うという不安はありましたが,何分経験が無いためこれで押し通しました。 結果は, I :   B II :  A で不合格でした。正直これにはめげました。昨年と結果が逆ではないですか。あっちを立てたらこっちが立たず,という状態です。 あえてコメントすれば,IIにおいては,3問中2問は満足レベルに書け

3度目の正直?

H18年度は二次試験二度目の挑戦で口頭試験にまで行ったので,H19年度は最後まで突破すべく,筆記試験を受けました。 技術士試験のつらいところは,再度筆記試験から受けないといけません。特に近年は,試験制度がかなり頻繁に変化しており,出題傾向をつかみにくいというのがあります。とはいえ,他に手はないので,過去問対策で行きました。 H19年度は試験制度が大幅に変わった年でもありました。経験論文が後出しになったことで,記述量が大幅に減り,筆記試験の記述そのものの負担は大分軽くなりました。 昨年に引き続き,県の技術士会のセミナーも受講しました。 そこで,「試験制度(採点の観点)が変わったのに,あなたの解答の仕方は例年と変わらない」と指摘されました。 しかし実際受験してみて,問題そのものの傾向は変わった様には感じませんでした。従来通りのどちらかといえば専門知識を問う問題で,出題の題意にそのまま答えるならば,一般的な説明的解答にならざるを得ないと思いました。 試験制度改革であげている論理的思考は良いにしても,解決方法や将来展望などは挙げようのない出題でした。採点基準の変化のことは頭においた解答に心がけましたが,十分な解答にはいたらなかったのでしょう。 I 「選択科目」に関する専門知識と応用能力 :         A II「技術部門」全般にわたる論理的考察力と課題解決能力 :  B で不合格でした。三度目の正直は実らず,筆記で敗退でした。IIの検査項目が弱いとみなされたわけですが,正直あの出題で,どう論理的考察と課題解決能力をみるのか?ナゾでもありました。 この年の電気電子部門および電子応用の出題は こちらのページ にあります。 自分が選択した問題は,II-2の分散電源,II-5の歪波波形のシステム解析,II-9のデジアナ放送の比較でしたが,いずれもあまり得意な分野でなく,一般的に知っている程度の内容でした。結果論的に言えば,素人的な解答であったのだと思います。 ただ,合格点になった電子応用専門のI項目ですが,こちらもさほど満足な解答ではなかったと思いますが,総合点では60点に達したのでしょう。問題の選択は1枚ものがVCOについてと,同期検波,FFTにおいて窓関数を使う意味の3つ,3枚ものが, オーディオ信号のA-D変換にしようか CPU

口頭試験対策

平成18年の口頭試験は不合格でしたが,それなりの対策はしました。結果論的には不十分,もしくは的を外していたところがあったのでしょうが,自分なりの虎の巻を,以下に示します。これは機械の方の合格記を引用(小文字)させていただいていますので,機械工学は電気電子工学に読み替えないといけません。 学習内容および確認内容として必要な項目。 1.受験動機 2.自身の経歴説明 3.業績論文要約説明 4.機械工学専門用語説明 5.技術士の定義 6.技術士の3大義務・2大責務とその具体例 7.技術士CPDとその意義 8.技術士取得後の抱負 上記8項目は、口頭試験で問われる可能性が非常に高い内容。 中でも最重要項目は、1.受験動機  2、3.自身の経歴業績論文要約説明。 1.受験動機 に関する注意事項  受験動機で決して言ってはいけないことは、 「自己啓発」の4文字。 技術士は自己啓発のために取得するものではありません。「自己啓発のためです。」と言った瞬間に不合格となる場合があるため、十分注意を。 受験動機は、個々の立場や考え方によって異なるため、自分自身で考え、簡潔にまとめ上げ、暗記。1分以上はくどくなるので、必ず1分以内で要約。 JABEEの申請に当たり、企業出身者は受けなさいと言われた。 JABEEコース(一次試験免除)で教えていて、資格を持たないのもどうかと思った。 ・技術者倫理といった、教育面での実際的効果。博士と相補的な資格。 ・地域貢献:地域企業などへの技術相談。ひいては学校組織への貢献。 ・実践技術を認めてもらい、将来技術プロとしてコンサルタントとして自立。 2、3.自身の経歴 業績論文要約説明 に関する注意事項  自身の経歴 業績論文は以下の3種類のバージョンでまとめ上げ、暗記。  ① スピーチ1分要約バージョン  ② スピーチ3分要約バージョン  ③ スピーチ5分要約バージョン ②の3分バージョンが普通だが、1分以内あるいは5分以内といってくる場合も想定される。 注意事項として、受験申込書や筆記試験で記載した内容とかけ離れた、あるいは書いていない内容を説明すると不合格になる場合あり。特に数字は間違えないように説明することが大切。ま

口頭試験を受験

平成18年度の第二次試験筆記試験の合格通知に口頭試験の案内通知がありました。前年度の不合格通知には空白だった箇所に,試験日や場所の案内があります。 12月8日(金),13:30〜14:00,渋谷のフォーラムエイトです。ここのビルには日本技術士会の事務所があり,口頭試験の大半がここで行われる様です。 平日の金曜でしたので,職場に伝え,出張扱いで試験に臨む事が出来ましたが,前泊は出来ず,朝JRで出かけました。後から思えば,試験日がもう少し遅ければJRが雪で遅れたり,飛行機で行くにしてもやはり雪で欠航することもありましたので,当日朝出かけると言うのは危険な事でしたが,まあ,その位の気分だったのでしょう。 当日トラブルがありました。 当時小学生の息子が学校でアタマを打って病院に運ばれたとの事,小学校の教頭から私のケータイにかなり丁重な電話がありました。何で私に来るのだろうと不思議に思いましたが,意識を失ったそうで,病院に運ばれたが,精密検査の結果特に脳には障害は無いようだとの連絡でした。当時妻はケータイを持たず(持っていても出ないですが),家と連絡がつかないので,私の職場に連絡,出張中だと知って,伝え聞いたケータイに掛けたということでした。口頭試験直前でしたので,少し気にはなりましたが,大事には至っていないとのことで,試験中はその事は忘れていました。後で本人から聞いたところでは,「安らかな気分だった」とのことなので,けっこうヤバかったのでしょう。 口頭試験には集中して臨みました。 試験室前の椅子で待っていると,呼び出しがあり,部屋に入りました。事前に面接官は2人と聞いていたのですが,4人いました。実際にメインで質問をするのは大学教授風の方で,技術士風の方がサブで聞くというかんじでした。 質問内容は受験動機から始まって,現在の職場での必要性等でした。「現在の職場ではいらないのではないですか?」といった質問に対しては,確かに明確な答えはしにくかった記憶があります。「技術相談を受けるのに要る」と答えたのですが,「技術士は無くても出来るのではないですか?」という問いには明確な解答が出来ませんでした。 私の業務経歴に関して「薄膜磁気ヘッドは現在使われているのですか?」という問いが,「いかにもモノにならない技術ではないのか?」の様な聞かれ方だった気がして,「

二次試験に2度目の挑戦

H18年度,2回目の二次試験に臨みました。 特に前年C評価だった,「I-2の『選択科目』に関する一般的専門知識」に特に注力しました。参考書を買い,セミナーにも参加し,作文能力もブラッシュアップしました。 その効果は見事に表れて,A評価を揃える事が出来ました。 A, A, A合格です。そのことを職場に伝え,公務出張扱いで試験に臨める事になりました。ラッキーです。 セミナー開催の県の技術士会の方々にも筆記試験の合格を伝えたところ,大変喜んでもらえ,「もう一息」とエールをもらいました。私ともう一人,若い機械部門の人が合格した様でした。そして,二人のために,口頭試験対策をしてもらいました。 いよいよ口頭試験に臨む事になりました。

二次試験にチャレンジ

H16年度第一次試験に合格したので,H17年度に第二次試験を受けました。 部門は第一次試験と同様,電気電子,専門は電子応用です。かつて企業時代にMR磁気ヘッドなどをやっていて,経験論文でもそれを書こうと思っていたので,専門とする事項は,一般用語では無いかもしれませんが「磁性デバイス」としました。 筆記試験の結果はA, C, Aの評価で不合格でした。しかし事前準備は全くしていなかったので,予想外の善戦だと思いました。次年度への足がかりが出来ました。 特にC評価となった「I-2の『選択科目』に関する一般的専門知識」が課題です。もともと電子回路というのがあまり得意ではありません。そのせいもあって回路システム系ではなくて物性デバイス系を選んだと言う過去があります。せいぜい大昔の真空管回路やバイポーラ・トランジスタ,オペアンプ回路の基礎的なことがわかる程度で,近年のMOSFETやCMOSなどと言われる半導体の動作などは全く知りませんでした。IGBTなるパワーデバイスがある事も知りませんでした。 参考書を買い,県の技術士会で開催された4月のセミナーに参加しました。論文試験の添削をしてもらいました。 指摘されたのは,分かりやすさでした。それまでの私の文章は勢いに委せて書いているところがありました。学術論文は書いていたので,文章を書く事自体はさほど苦にはならなかったのですが,やはり,鉛筆で,手書きで,限られた時間内で,わかりやすく書き上げるにはそれなりの練習が要ります。学術論文では草稿は一気に書くにしても,推敲を繰り返して仕上げるわけですから,そこが違います。 当時の二次試験の勉強法としては,想定問題に対して模範解答を作り,それをみっちり覚えるという学習法が推奨されたように思います。私は何分,覚える事が大の苦手でしたし,想定問題と同じものが出る確率も低いと思いましたので,覚える事はせず作文練習をしました。当時はまだ論文記述量が多く,技術士ならぬ「記述士」と揶揄されたものです。 わかりやすく書き上げるにはそれなりの練習が要ります。特に指摘されたのは,図の多用でした。分かりやすくなる上文章記述量も少なくて済みます。それから,最後に「以上」で締めくくる事でした。また当時は赤鉛筆や青鉛筆で強調したり色分けするのも良い方法と言われました。 図をうまく使え

一次試験が必要

当時の教務主事から,「企業経験者は第二次試験からで良いから受けなさい」と言われました。 調べてみると,何のことはありません。確かに14年度まで経験者は第二次試験から受けられたのですが,15年度からはJABEE認定コース修了者にインセンティブを与えるためか,コース修了者以外は経験の有無に関わらず,第一次試験受験が必須になっていたのでした。 いわば,JABEE認定コースを教えるために技術士を取ろうとしたら,JABEE制度導入のための試験制度改正で試験がメンドウになっていた(一次試験から受けなくてはならない)と,まあ笑えない話です。 そこで,H16年度は第一次試験を受けました。部門は電気電子です。私の専門は電子材料ですので,金属もしくは応用理学(物理)も考えましたが,冶金学とか熱力学とかの苦手分野がありますので,モトの専攻分野としました。一次試験と二次試験は併願出来ないので,年度毎に受けて最短でも2年計画です。しかし,これが長期戦になる事始めでもありました。 第一次試験の共通問題は理系学卒では免除されますので,専門と倫理でした。専門は学部程度,倫理は常識程度で十分合格点に達しました。H17年1月に合格証書を受け取る事ができました。 成績通知書です。専門成績あまりよろしくありませんが,50%で合格ですからまあ良いでしょう。

技術士事始め

アカデミックの仕事をしていますので,学位は有りますが,それだけではダメな時代になったようです。事の始まりは,JABEEです。 日本技術者教育認定機構。詳細は Wiki などを参照していただくとして,とにかくウチの教育プログラムがここの認定を受ける事になりました。 少子化,学力低下,理科離れ,にもかかわらず即戦力を求める企業環境,教育の質保証,国際的レベルの確保,といったことが声高に叫ばれました。これはこれで真っ当な指摘ですから, 真面目な教育者ならば 誰も反対は出来ません。 求人に訪れられる企業の方々も, そういうものがあるという事自体 も殆どご存じなかったので,現場の実感としては,推進する方々が声高に叫ばれる程には 多くの企業の要望という事でも無さそう でしたが,とにかくちょっとした熱病のようにこれに対応する取り組みが始まりました。 まあ,これに関する詳細は述べませんが,真面目に取り組むと膨大な証拠資料の作成が求められ, 一体いつ教育するの? といった状況でしたが,とにかく,大号令(があったのかどうかもよくわからないまま)の下,JABEEの認定を通すべく職場全体が走り出しました。 JABEEと技術士との接点は,JABEE認定コース修了者は第一次試験が免除されるというものです。また,JABEE認定を通すためには,技術者倫理科目が必要,ついては技術士資格を持ったスタッフがいた方が良いのではないか?ということからか,受験を推奨されたのでした。 職場から受験費用が出されるわけでもなく,取得したからってお手当をいただけるわけでも無いのでした。H15のことでした。