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京都アニメーション放火事件に関するNHK取材の責任は?

大変悲惨な事件が起こりました。犯人が悪いのは言うまでもありません。その犯罪を憎んでも憎みきれません。世界的にも最も安全な日本の古都京都でこの様な事件が起こったと海外メディアも驚きの報道です。残念な事に世の中には勘違いで恨みを持つ人間もいますから,当然それなりのセキュリティはなされていたのです。しかし,当日は来客予定で,カードによる入構システムを解除していたのだと,昨日報道されました。 驚くべき事に,当のスタジオをNHKが11時から取材予定だったのだそうです。事件(事故)が発生したのはその30分前の10:30頃です。 セキュリティを外していたということは,この事件に関しかなり重要なことです。 起こってしまったことを仮定形で嘆いても仕方のない事ですが,如何に犯人が殺意を抱いて入念に準備していたとしても,セキュリティがしっかりしていて,決行に失敗していれば諦めた公算も大きいはずです。 本当に取材が11:00からだったのか?十分検証しないといけません。 一般論として言えることは,マスコミの人たちはきわめて時間にルーズだという事です。まず約束の時間になど来ません。 彼らは勝手に遅れることが殆どですから,実際のアポは9:00とか10:00からだったとかではないのか?疑われます。本当に11時からだったとして,なぜ10:30にはカード入構が解除されていたのか。あるいはもっと前から解除されていた可能性もあります。 NHKの取材姿勢に責任の一端は全く無いのでしょうか? マスコミ特有(特にNHK)の,取材対象を見下した様な姿勢が,それに対応したアニメ制作会社側の無防備なセキュリティ解除を招き,今回の惨事の一因になったのではないのか?検証が必要です。 世にも憎むべき罪を犯した容疑者の回復を待って,その犯行動機などは厳正に取り調べされることは必須ですし, 当然,当のNHKも公共放送として,ほおかむりをせず,自らの行動を正確に報道すべきです。
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転職したくなったら(その5)〜まとめに代えて〜

冒頭でも述べた様に,私の転職が成功したのかどうかはまだ分からない。大学院を出て10年余り勤めた企業生活は成功だったのかどうか。長く居すぎた感もある。教育や研究の分野に行くなら,10年のキャリアは,少なくとも金銭的にはソンだった。 お金にばかり価値を置いてもしょうがないが,かと言ってそれから逃れられるものでもない。 清貧に生きることも必要だが,残念ながら「 衣食住足りて礼節を知る」と言う面はある。経済的独立が精神的独立を担保する面はある。 全く誰からも束縛されない自由を持つと言う経済力はどのくらいのものか。夜も寝ずに仕事をしてようやく生活できるようでは,まともに人間的な思考の余裕も無いだろうし,家庭や子供を 持っても上手く行かないだろう。 「忙」という字は,心を亡くすと書く。人間の営みに関して言えば漢字が出来あがった時代も今も大差無いようである。 より収入を得ようとすれば,忙しくなり精神的自由からは遠ざかる。 しかし,金銭的に窮すれば,人間卑しくなってしまう。両者持ちつ持たれつ。いわば相互作用がある。収入を得る事と精神的な自由とは独立ではないし,両立しない。 極論を言えば,全くのニートやフリーターの方がむしろその精神的自由を持っているかも知れない。ただ,それで如何に社会人としてやって行くかだ。働くというのは,「はた(周りの人達)」を「らく」にする事だと言う。はたを楽にする仕事ならば,かりに精神的不自由が多少あっても,働きがいはあるはずだ。 金を得るだけならば,どんな仕事でもある。極端な事を言ってしまえば犯罪だってある。振り込め詐欺。上手く演技をして黙っていたってお年寄りの方からお金を送ってくれるのだから,ある意味こんなに上手い儲け話は無い。 就職しだした頃,「この電子機器を苦労して作って,世の中にどれだけの益があるだろうか?」などと真剣に考えていた。素子やさらにその素材に至れば尚の事,巡り目って幸せの為に使われるかも知れないし,良いものを作れば作る程,人を殺す兵器にだって使われる可能性がある。これは科学や技術の本質にまで関わる問題だ。もちろん,そんなことはいちいち考えないで,目の前の仕事を上手くこなすのが賢いのだが,私はそれが出来なかった。 微妙なものもある。優れたゲーム機を作れば間違いなく儲かる。現在ならスマホのアプリやネット上の仕掛けだ。もちろん

転職したくなったら(その4)〜「就活」なる言葉の発生〜

「就活」なる言葉がいつごろからか出来ている。 私の学生時代には無かったと思うし,ここ10年くらい前まで知らなかった。 もちろん,就職活動と言う一般名詞はあったが,大学生などの特定の時期の行動を指して。リクルート社などの勃興とともに発明された言葉だろう。 就活競争が激化すればするほど,それを仲介する企業は儲かる仕組みである。 その柳の下のドジョウを狙ってか,「 婚活」やら「 オワ 活」やら,何でも「〜活」をつけて追い立てる。いやはや人生終わる始末まで負い立てられてする始末である。 かつてリクルートスーツは紺色が相場だった。今は黒のようだ。流行の色が変わっただけの様だが,紺色と言ってもそこそこ色のバリエーションがあったが,黒は学生服の様に黒い。女子は化粧の仕方まで揃える様だ。無難無難のオンパレード。選ぶ側はどうやって見分けるのだろうか。例えが悪いが,イワシの群れからどのイワシを穫るか選ぶようなものである。 私が就職した80年代初頭でも就職情報に関する大量の冊子が有力就職紹介企業から送られて来たが,中身を見た記憶が無い。彼らの役割は,もちろん情報提供な訳だが,採用 企業と 就活 学生の双方に如何に幻想を持たせるかで 一大産業としたのだ。天才的な起業といわざるを得ない。 モノを作ったり,モノを売ったりするのに比べ,就職仲介はいわば人の売買だ。もちろん人そのもの,人の魂まで売買するわけではないので,そのようには言わない。しかし,そこの線引きはどうやってやるのだろうか?近年問題化したいわゆるブラック企業の実態などを聞くにつけ,それは人間の腕を買うのではなくて,魂までを買い取った積もりの雇用者がいるのではないかと思う。常識的な線引きを越えているのである。しかしそこの線引きが曖昧であれば。企業の競争の中でそういう者が出て来るのも致し方ないのかも知れない。全く企業倫理の問題なのである。 かつての大学(今もそうかもしれないが)の多くは,大学は就職の為の場では無くて学問を目指すところだという矜持があった。しかし,企業側は大学での学問など全く期待せず,人材確保の場だと捉えているフシがある。 大学の大衆化も切り離せない。企業での仕事において,大学で学んだ事が直ぐに通用するわけは無いが,否定も出来ないはずだ。壮大なムダという事になってしまう。 私が企業の新人時代,

転職したくなったら(その3)〜身内の人間観察〜

上の姉は東京近郊で公立小学校の教員をしていた。していたというのは既に定年退職をしたからだ。次姉は地方の私大の教員で,現役である。 長姉は判で押したような23歳~60歳の教員人生だ。一箇所を勤め上げるのは,ある意味非常に重要な事で,金銭的にも最も有利である。長姉は夫婦そろってそうだ。 私は常勤講師を経て,ある県で試験をパスして,高校の正規教員になった。私は民間経験10年で教員になったが,教員の前歴としては8年分にしかならなかった。それでも最高評価なのである。しかし教員で10年いると12年分の昇給になっていた。前歴が最高評価でも10年で4年分もの差がつくのである。それでも,私の民間企業時代よりも良い待遇であり,職に就ける喜びをしみじみ味わったものだった。 民間経験は,不当に低く見られているが,そういう制度なので仕方が無い。せめてもの救いは,産業教育手当である。基本給に無条件で1割上乗せされた。しかしそれとて,学校出てずっと教員している人は有利な基本給の上に更に1割上乗せされるのだ。この手当は,貰っていない人達からは評判が悪かった。公平性からこれを改めるのは良いと思うが,それなら民間経験者への処遇改善があっても良いはずだ。 次姉は子育ての時こそ休職していたが,ずっと勤めている。 夫は建築家で,建築会社を経営していたから,経済的には姉の稼ぎは特に必要なかったはずだ。全く金銭面とは別に,満足度で仕事をしているようだ。ある分野では名があり,NHKに登場した事もある。学科の長などをしていて大学にとっても必要な人材だろう。 姉達の上に兄がいた。 大学で国文学を学び,実家に戻っていた。 地方から東京の私立大学にやるのは,今も昔も大変なことだ。経済的苦労もあっただろうが,かなり年数掛かって卒業した。この人は,姉達とは違い職を転々とした。実家に戻って家業の手伝いをしながら,それだけでは新たな収入は無いので,勤めに出た。幾つくらい転職したのかよく分からないが,しばらくして社会教育主事で町役場に勤めていた。結婚もし,幸せな時代だったと思う。が,そこは10年ほどでクビになってしまった。 その後また転々とし,最後は,建設会社に勤めていた。地元では結構有力企業だったがそこは数年も持ったのだろうか,最後は遺跡の発掘作業員をしていた。 兄の特徴は,経済的観念の無さであった。全く

転職したくなったら(その2)

35歳で民間メーカーを退職した。一応タイミングは計った。丁度会社から有利な条件が出た事,このまま続けても目標である学位取得が難しそうな事等々である。更に細かい事を言えば,姑息ながら退職する直近3カ月間は手当を含めて収入を増やしておく方が良い。裁量で残業が許されるならば,めいっぱいやった方が良い。失業給付がその分増えるからだ。 退職の鉄則は,次の職場を決めてからだ。しかし,この時は訳あって次の就職先を決めておらず,失業給付をもらいながら求職活動をした。バブル崩壊直後でまだそれ程不況の色は濃くなかった。しかし,中々これはと思う再就職先がないまま,あっと言う間に210日の給付は終わり,虎の子の退職金200万円も底をついた。企業時代に貯めた貯金はいくばくか持っていたが,こんな感じなら,それもあっという間に無くなるだろうと感じた。 離職時のお金の減り方は尋常ではない。 結婚もしており,子供も一人いたが,小さいし,それ程かかる訳ではない。 何にかかるって,先ずアパート代だ。会社の時は,借り上げ社宅だったから,実際のアパート代の1/3程の値段で入っていたのが,退社後は丸々掛かってくる。当初は妻の実家に転がり込んでいたが,だんだん不自由になってくる。妻がグランドピアノを持っていたので,引っ越し費用もかかる。まあ,そんなのは個人的都合だが,困るのが,税金。収入が0でも退職の前年分の住民税が掛かってくる。それから,健康保険。収入にもよるが,大概は退職後2年間は,会社の健保の任意継続にした方が通常安いがそれでも現役時よりも高いのだ。それから年金。企業では厚生年金だったが,退職後は無職でも国民健康保険に加入しないといけない。これも現役中よりも高い。つまり,会社を退職した後は,収入が無いにもかかわらず,固定費的な支出は現役の時よりもずっと多いのである。 「こんな安い給料でこき使いやがって,こんな会社いつでも辞めてやる〜」 と思ったって,会社は社員に給料以外のかなりの負担をしている。私の頃で,企業が社員一人に掛ける費用は,給与分の3倍と言われていた。近年,企業が非正規雇用を増やして来たのは,そこのコストを削りたいからだ。転職に際しては,給与だけに目が行きがちだが,むしろそれ以外の部分が大きい事を認識しないといけない。 そこで,当座の生活費を稼いで貯金の目減りを緩和するため

転職したくなったら(その1)

転職したくなったら,どうしたら良いのだろう? この問いは,結構切実である。「結構」どころか,一番大事だ。 人生の大きなイベントは何だろう? 卒業,就職,結婚,etc. 学校は卒業しなくても(大概はどこかの学校は卒業しているはずだが),生涯独身であっても,何らかの就職だけはする。純粋に家庭の主婦であっても,全く職に就いた事が無いという人はごく珍しいのではないだろうか。最初に入った職場を定年まで勤め上げる人,職を転々とする人。転々として,キャリアアップを図る人。ぱっとしない人,さまざまである。その軽重に差はあろうが,転職は人生の大きな転機であることは確かだ。 私は二度転職を経験した。現在では非正規雇用が多いから,何度も職場が変わる人も多いだろうが,正社員・常勤職員としてである。もしアルバイトも入れるなら,ずっと多くなる。全くの無職状態で,失業給付での生活も経験した。既に結婚し,子供も居たから,結構しんどかった。 まず,現在正社員の人に言いたい。今の時代,正社員という身分に居るだけでも幸せな事だと。 「転職したい」と思うからには,正社員であり,今の時代に既にその地位を勝ち得たならば,業種にもよるが,安定した大企業なら,まあまあ安泰だろう。嫌な言葉だが,「勝ち組」に相当するはずだ。転職をねらうということは,「勝ち組」から「負け組」に転落するかもしれないのだ。 一般企業が学生に望む事は何だろうか? 私の就職時は,理系ならだいたい最初の企業で一発で受かる時代だったが,私は最初に受けた企業の常務と面接して,「尊敬する人は?」と聞かれ,「バッハ」と答えて,そのまま会話が途切れてしまった。「バッハか~」と,窓の外の遠くを見ていた視線を今も記憶している。当然なのか,その事業所では採用されず,後に本社採用で入り,希望してその事業所に配属されることにはなった。 決して積極的に,ほしい人材ではなかったのだろう。夢を見ず,現実路線で,いやな仕事でも文句言わずにこなす。私は我慢強さはあったが,夢見がちで,特に理不尽な事にはすぐに文句を言う若者だった。そこには10年余り務めたが,それまでも辞めたいと思った事は数知れず。11年目,少し有利な条件で辞められそうだったので,辞めた。 入社11年目ともなると,少しずる賢くなっていて,有利なタイミングを図っていたのだっ

職場内技術士として思うこと

独立系の技術士をやっている方は,技術士としての仕事で忙しい日々と思いますが,職場内の技術士は職場の仕事に忙殺されます。 職場内の仕事をしている人間がたまたま技術士と言うだけで,たまにある「技術士としての仕事」はプラスアルファの仕事となってしまうのが辛いところです。 とは言っても身体が幾つもあるわけでなく,それなりの対応しか出来ません。 そんな中,当方が関わったセミナー受講生全員が一次試験に合格しました。大変慶賀なことです。技術士になった方からすれば,それは第一関門であり,すでに忘れた方も多いかも知れませんし,平成14年度までは業務経験年数を満たせば一次試験は免除されていたわけですから,先輩技術士の中には受けていらっしゃらない方も多いのではないかと思います。 当初書いた通り,一次試験義務化はJABEEとの関連です。JABEEコース修了生にインセンティブを与えるために導入されたものですが,一次試験受験が義務となれば,面白いことに,JABEEコース修了生であっても一次試験を受けようという人もいるようです。 例えば,ある企業が技術士受験を奨励する。その中にはJABEEコース修了生も居るとします。修了生だけ一次試験受験を免除させるかです。 もちろん,技術士資格の取得が目的であれば,ムダな事はしないでしょう。しかし「技術士資格の取得を通して勉強をさせる」という目的であれば,JABEEコース修了生に対しても会社は受けさせるかもしれません。 この「勉強のために試験を受ける」という姿勢は本来の技術士の目的には沿わないものです。かつて口頭試験で受験の目的を聞かれて,「自己啓発の為」とか言うと,必ず落とされると言われたものです。 しかし,勉強をさせるためには,目標があることは重要な事だと思います。第一次試験が技術者の最低限の資質を証明する試験だとすれば,なおさらです。当然JABEEコースでは,様々な,一次試験受験よりもむしろ高いハードルを設けています。しかし,企業にもよるでしょうが,教育機関の教育内容を信用していないところがあります。私はある企業の新人時代,工業高校程度のセミナーを受講させられた事があります。企業としては,従業員に勉強をさせて国家資格で成果を見るということをするのではないでしょうか。 業種にもよると思います。建設土木関係ならば,業務独占資