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二次試験にチャレンジ

H16年度第一次試験に合格したので,H17年度に第二次試験を受けました。

部門は第一次試験と同様,電気電子,専門は電子応用です。かつて企業時代にMR磁気ヘッドなどをやっていて,経験論文でもそれを書こうと思っていたので,専門とする事項は,一般用語では無いかもしれませんが「磁性デバイス」としました。


筆記試験の結果はA, C, Aの評価で不合格でした。しかし事前準備は全くしていなかったので,予想外の善戦だと思いました。次年度への足がかりが出来ました。

特にC評価となった「I-2の『選択科目』に関する一般的専門知識」が課題です。もともと電子回路というのがあまり得意ではありません。そのせいもあって回路システム系ではなくて物性デバイス系を選んだと言う過去があります。せいぜい大昔の真空管回路やバイポーラ・トランジスタ,オペアンプ回路の基礎的なことがわかる程度で,近年のMOSFETやCMOSなどと言われる半導体の動作などは全く知りませんでした。IGBTなるパワーデバイスがある事も知りませんでした。

参考書を買い,県の技術士会で開催された4月のセミナーに参加しました。論文試験の添削をしてもらいました。

指摘されたのは,分かりやすさでした。それまでの私の文章は勢いに委せて書いているところがありました。学術論文は書いていたので,文章を書く事自体はさほど苦にはならなかったのですが,やはり,鉛筆で,手書きで,限られた時間内で,わかりやすく書き上げるにはそれなりの練習が要ります。学術論文では草稿は一気に書くにしても,推敲を繰り返して仕上げるわけですから,そこが違います。

当時の二次試験の勉強法としては,想定問題に対して模範解答を作り,それをみっちり覚えるという学習法が推奨されたように思います。私は何分,覚える事が大の苦手でしたし,想定問題と同じものが出る確率も低いと思いましたので,覚える事はせず作文練習をしました。当時はまだ論文記述量が多く,技術士ならぬ「記述士」と揶揄されたものです。

わかりやすく書き上げるにはそれなりの練習が要ります。特に指摘されたのは,図の多用でした。分かりやすくなる上文章記述量も少なくて済みます。それから,最後に「以上」で締めくくる事でした。また当時は赤鉛筆や青鉛筆で強調したり色分けするのも良い方法と言われました。

図をうまく使えば確かに分かりやすくはなるのですが,電気電子部門では非常に図の使いにくい出題もあった様に思います。例えば教科書に載っているような安定判別のボード線図やナイキスト線図なら直ぐに描けますが,「MP3について説明せよ」という問題を図を用いて行うとなると大変です。技術仕様ではなくて原理についてだとしても,想像で不適切な図を描いたのでは一発でペケになりそうです。文の方がよほど安全です。ですからその様な有用なアドバイスを受けても,「電気電子部門はちょっと違うのじゃないかな?」という疑問も持ち続けていました。何の事前準備無しに臨んだ初回の第二次試験では,全く図も使わずべた書きで,最後に「以上」とも記さないで,経験論文と必須科目でA評価もらったことがその理由であり再受験へのモチベーションでもあったわけですが,後から考えてみれば,そこに少しおごりがあったのかなとも思います。

今から振り返ってみれば,当時の試験では必須科目は択一問題と論文問題がセットになっており,択一の方の点数でかせいでA評価がついた可能性があります。その場の出題に論文式で答えるのはCがついた専門の選択科目だけだったのです。

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